Archive for the ‘机上’ Category

ルーティン

日曜日, 12月 30th, 2012

また今年も、今年が終わる。

また今年も、色々なことがあった。だから来年もいろんなことがあるんだろう。

慣れないことが起こることに、ある意味では、慣れたんだと思う。

作者と題名がわからないのでもどかしいのだが、何年も前に、母が聴いていた朗読CDの小説の一節で忘れられないものがある。大まかな内容はこんな感じ。主人公「○子」は、たしか針仕事をしながら考えていた。

○子は、自分の人生は波瀾万丈だったと思っていた。
でもいまになってみれば、平凡な人生だったのではないか、と思えるのだ。

きっと有名な小説の一節だ。朗読は名女優によるもので、その声と語り口は心にしみるものだった。小説の中での意味としてはまあ、過ぎてしまえば、と言うことだと思うのだけど、通りすがりにその部分だけを聴いた私にはもう少し重い印象が残った。

この朗読を聴いている母と、重なった部分はあったと思う。
自分と重ねた部分もあったと思う。
どの辺の人まで、自分の過去を「平凡」と振り返ることが出来るのかな、そのラインはあるのかな、とも思う。
そのラインは、その人が自分で引くんだという確信は、ある。他者による評価はここでは無関係だ。

だから、元アメリカ大統領が「平凡だった」と人生を振り返る可能性も、ある。そんな客観性に欠ける人物だったら大統領にはなれなかったはずなので、その可能性は、本当はない。と思うかも知れないけど、それは○子が波瀾万丈な過去を平凡と振り返るのと同じかも知れないので、やっぱり可能性は、ある。

閑話休題。

こんなことを考えるのは明らかに、自分が「半分を過ぎた」感覚があるからだ。
「過ぎた」というと悲しく聞こえるなら、「経た」としてもいい。この、とても複雑で豊かな感覚は、より多くの時間を経たからこそ感じられるものだと思う。

だとすれば、出来るだけ長生きして、もっと複雑な感覚を得てみたいとも思う。
そうやって、先のことを考えると、とたんに若者のように不安な気持ちにもなる。

これから起こることに対する、期待と怖れ。
今そこにあるものごとに対応しなくてはいけない、楽しさと疲れ。
出来れば、平凡だったと振り返りたい。
つまり、波瀾万丈を自覚する生活を送り、それを「平凡だった」と振り返れるのが 理想?

今までこの小説のこの一節を何度も思い返したけど、そんな考えに至ったことはなかった。
なんだかつまらない結論が出てきてがっかりなのはなぜかというと、結局小説は「作品」で、その中の一節は豊かで全体の中で大切な部分なのだけど、そこだけ切り取っておいてみたらどこにでもあるものになる、と言うことを確認した形になっただけだったから。または、悲しいけどまたもや私の展開の仕方が貧弱だから。

きっと私は「あとちょっとだったんだけどなあ」と、人生を振り返るのだ、と言う確信と共に、今日やるべきことはひとつ。

掃除。

露出アンダーでこわいけど、これはフランス・ナントの名物リゴレットというキャンディ。ものすごくおいしい。

破壊

月曜日, 9月 19th, 2011

世の中連休ですね。ラジオで「シルバーウィーク」と言ってましたが、そうなんですね。

シルバーウィークの日、私は仕事を家に持ち帰り(終わらなかった・・・)、のんびり仕事をしました。のんびり、と、仕事、ですよ。マッチしませんねえ。あ、だらだら仕事、と言えばマッチしますね。

・・・・。

今日は珍しく一人暮らし状態だったので、朝から気兼ねなく家中を掃除しました。掃除って、家族がいると意外に気を使ってタイミングを見計らったりしてるんだなあと気付きました。

まだこれから明日の準備が残っていますが、依然として「のんびり」仕事をしています。気付いたらネットで「みょうがの梅酢漬けレシピ」を見ていたり、いきなり冷蔵庫に走っていって奥に何日も入っていた山芋を取り出し梅酢で漬けたり(みょうがはやめました)、このブログを書き出す前は、フリスクケースについて調べていて、さすがにそのどうでも良さにハッとしたわけです。

いい加減、とっとと仕事します。

とか言いつつ、久しぶりにベランダに出たら、一角の木瓜の枝がばらばらに折れていました。枯れてしまったけどそのままだったネムノキも、バキンと折れています。夏からコツコツとあんどん仕立てにした風船かずらの鉢も倒れています。台風のせいかと思ったけど、ジェイコムの工事のせいでした。もう戻らないからしようが無いけど、心ないとはこのことか、とがっかりしました。

何十年も花を咲かせた木瓜。折れた枝を集めたらこんなにありました。挿し木にでもしたら生きてくれるでしょうか。はあ。

 

ベゴ考

水曜日, 8月 24th, 2011

ここ数日、九月からの準備をまじめにやっています。

これが終わったら、きっと書類の整理をしよう。したい。しなくては。

家の机周りは、職場の机周りに比べるとシステムが崩れつつあります。職場の方がシステマチックになりつつあるからでしょうか。同じようにすれば楽でしょうか。そうか。(自己完結)

さて例のベゴニアです。花は終わりましたが、根っこが出てきて新しい葉っぱも出てきています。やはり花と葉っぱがあって、水に挿してあった様子がかわいらしかったのですね。しかし葉っぱだけでもまだきれいと思っていられるラインです。

これを土に挿したら育つのでしょうが、果たして良いイメージを持ち続けられるのでしょうか。やはり路上で見かける鉢物のベゴニアには、以前と同じ感想を抱きます。なんか、観賞用のものに対して、さらに植物に対して大変不条理だとは承知ですが、土と似合わない感じがするのです!

何かいい方法がないか、思案中です。

もうかまだか

水曜日, 8月 17th, 2011

夏風邪の終わりは裏玄関の整理と掃除でした。

サミーの周辺を掃除しながら必然と言う名の道を通り気付いたら裏玄関の戸棚の整理をしておりました。

裏玄関というとサザエさんちの勝手口みたいですが、古いビルに住んでいるので階段の方とエレベータの方が分かれていて、それぞれ出入り口があると言うだけのことです。

裏玄関の扉をぞうきんがけし、断捨離モードでゴミ袋をいっぱいにし、大汗をかきながら脳の片隅の「まだ風邪薬飲んでんだけどなあ」という吹き出しを 「西洋医学の薬を飲んでいるのだからガッツリ効くので大丈夫だ」にすり替え、同時に「これだけ汗をかけば全て流れる」的な「区切り」的な「風邪菌に引導を渡しているさま」的な気持ちで掃除を続け、住居の端っこのみが異様にきれい(当社比)になりました。

そして今日も多少安静にしつつ、PC関係の断捨離モードが芽生えております。かつての仕事道具であった諸々を処分しようとしています。

その中で、ナナオのモニタとマイクロドライプリンタを手放すのは、友達と別れるようで寂しいです。

せめてナナオだけでも手元に・・・
いややはり道具は使ってもらわないとかわいそうだし・・・

それにしても、PC関係、IT関係は日進月歩です。

今朝物置で見つけたMOドライブ。ある職場を離れるとき、仕事の記録として何枚のMOに成果物のバックアップをとったことでしょう。
カセットタイプのDVD-RAMにとったバックアップ、どうしましょう?
そもそも、何年も触っていないこのバックアップはもう無用でしょうね。

SCSI とかターミネーターとか Daisy Chain とかそんな言葉達とはすっかり縁がなくなってしまいました。シリアルケーブルとか、今見ると胸がキュンとなります。

ケーブル&コネクタ図鑑 と言うのがありました。簡易的なもののようですが、これだけでもワクワクしますねー。だって今は、ケーブル自体がなくなってきているんですから。この図鑑もすでに10年近く前のもののようです。必要ないんですよね。
でも、こういうものを眺めていると、くつろぎますねえ。

20年前、デザイン系オフィスの戸棚の、ある程度の面積は、アプリケーションソフトの箱が占めていました。あの、しっかりした高そうなきれいな箱がまばゆくて、古いバージョンのを捨てているボスに頼んで空き箱をもらってきて、アトリエでブックエンドかなんかにしていた記憶があります。日本語をきちんと印字するのも大変でした。カラープリンタなんてもちろんないので「いづみや」の名機(アイロンみたいなの)で色をつけてましたねえ。懐かしいなあ。

それがほんのまだ20年前なのか、もう20年も昔なのか。
たぶん、もう、の方でしょうね。20年ですから。

夏休みはあともう○日しかないのか、まだ○日もあるのか。
たぶん、まだ、と思った方が気持ちは穏やかなような気がします・・・。

ねりま

火曜日, 3月 1st, 2011

先日もお伝えしたように、頂いているコメント、スパム防止のためアップはしませんが、しっかりとありがたく読ませていただいていますので、あしからずご了承くださいますようお願い申し上げます。メールアドレスを入れてくださった方には、少々なれなれしいかと思いつつもメールを送らせていただいたりしてみましたが、戻ってきました(笑)。わたし気にしてませんので・・・

グランヴィル − 19世紀フランス幻想版画展 @ 練馬区立美術館

こういうの苦手な人いるのかな、世の中にはいろんな人がいるので、いるんでしょうね。とか思うくらい、楽しい楽しい展覧会でした。誰にも見逃して欲しくない、貴重なコレクション展です。フランス語がわかる人にも是非見に行って欲しいです。美術館は中村橋駅から徒歩一分。

この練馬区立美術館で、4月の初めから開かれるPLATFORMという展覧会に参加します。お話を頂いた去年の春頃から準備をしてきました。図版用に、初めて公にテキストを書きました。一生に一度かも知れない機会を頂きました。作品よりもテキストの方に緊張したりして。